黙想・瞑想
毎月の黙想
不都合な真実・・・ 2012年2月の黙想
不都合な真実 意識に上らない/上らせないこと
日常生活で取りあげられる話題は「健康」がトップのようです。「元気ですか」という挨拶を聞かない日々はないでしょう。健康は信仰と関係があるのは当然ですが、ただどういう健康を目指しているのかは中心の課題です。信仰は問題のない(“ゲットー”特定の社会集団のような)パラダイスに生きる手段にならないように。最近耳にした、カトリック信者の一人のことば。「信者は教会で祈ったり、歌ったりしていますが、礼拝の後でぶつぶつ言うし、カリタス(人を助ける)ために何にもしない」と。この発言は現実のすべてを反映しないまでも、真実の部分は多いのではないでしょうか。
原子力
1945年8月6日広島、9日長崎。その後の4ヶ月半余りに15~24万人が原子爆弾の影響によって死亡したという。その年の9月、日本を占領したアメリカは日本に「民主主義」国家の指令を出しましたが、広島と長崎についての報道は禁じました。広範な世界において破壊のイメージがある「原子」は「希望をもたらす」シンボルに変えられていきました。1953年12月8日、アイゼンハワー元大統領はニューヨークの国連総会の演説で「原子兵器の競争を変えられるなら、最高の破壊機能は全世界の『祝福』の元になるよう発展させることができる」と述べました。日本では中曽根康弘氏と日本の原子力の父といわれる正力松太郎*1 は、その考えを日本国内で(普及)大衆化させた中心人物でした。そのアイゼンハワー元大統領が述べた「祝福」の現実は、昨年3月11日からあきらかになり、「(祝)福」は「災い」になりました。
わたしが来日した1956年1月から昨年の3月まで、原子力や原発についてほとんど考えることはありませんでした。(「鹿児島県川内原子力発電所」の建設時代から知ってはいました。また節電を以前から意識していても、原発の危険性とは結びつかなかった。)わたしの55年間の信仰生活で原発が問題として意識化しなかったのは事実です。
人間は自分が責任を取られない行為をしてはいけない、という原則は的確でありましょう。言い換えれば「できるからといって、何でもやってもよい」という考え方は倫理的ではないことを再認識する必要があります。同時に、社会の動きを最小限意識し、関心をもつ努力は義務と考えてもよいでしょう。
信仰は「問題のない世界の中に生きる妄想を創る」きかっけにならないように注意すべきでしょう。
現代キリスト信者の迫害
わたしはキリスト信者が迫害されていることを割合に知っています。だが、それに対してほとんど行動を取っていません。現在、50カ国においてキリスト信者の迫害が報告されています。迫害のトップ国は北朝鮮、それにアフガニスタン、サウジアラビア、ソマリア、イラン、モルジブ、ウズベキスタン共和国、イエメン共和国、イラク、パキスタンが続いています。北ナイジェリアは13番目、スーダンは16番目です。北ナイジェリアでは殺害計画が増加し、国家制度を震撼させているという。「Open Doors UK オープンドア イングランド」から、迫害されているキリスト教徒のための祈りのリクエストが頻繁にEメールで入ってきます。*2
日常生活で忙しいことがあるのは当然ですが、信仰は生活のアクセサリーのようなものではなく、生きるか死ぬかの厳しい問題点になることもあります。イエスが信仰のために殺されたことをはじめとして、現代でもイエスに従って人生を送ろうとする大勢の人々は、周囲・社会からの困難に出遭わせられます。今日、北朝鮮では40万人のキリスト信徒がいると言われています。彼らにとって信じることは日々の生死に関わる厳しい現実です。信仰・宗教の自由がまったくありません。
北朝鮮から亡命した一人は言う。「20代の女性と60歳位の父親は聖書を持っていたため、学校の先生と4年生以上の生徒、中高の学生や近くのマーケットにいた大人の前で、鉄砲で頭を打たれ殺された。」
(クリスマスの日、テロ攻撃を受けたナイジェリアの教会 Foto: Getty)
もう一人の発言。「兵士が道路建設工事で聖書とノートを見つけた。そのノートには25人の名前が書いてあった。牧師、長老と20人の信徒。牧師と長老は「信仰を捨て、そしてKIM ⅡSungとKim Jong Ⅱだけに仕えれば死刑にされない」と言われた。だが5人とも何も答えなかった。それで5人は手足を縛られ、道に横になるように命じられた。(日本製の)道路をならすスチームローラーは彼らを平らにした。信徒20人はそれを目撃させられた後、刑務所(強制収容所)に入れられた」と。
もう一つの証明。「わたしには二つの(命)人生がある。一つは身体的なもの、もう一つは政治的なもの。従ってわたしは政治的な人生を生きる限り、国のリーダーと政党に従って生きるべきことだと学んだ」と。*3
国内の中心となる課題や隣国の状況を少しでも意識するなら、日常生活と信仰との「絆」=信仰生活は魅力ある要素になり、礼拝後の話題は信者同士の不平ではなくなります。
人間が生きられる社会のために、イエスと共に自分に何ができるか、イエスはどこに中心を置いているのか、自分自身の人生のコアなどが中心課題になり、内面性は深く魅力的になるのではないでしょうか。イエスは「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている*4」 と「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな*5」と。イエスの平和は、問題のない生活や人生を意味していないことが想像できます。それを認めるのは楽なことではありません。
----------------------------------------
1: 元戦犯、日本原子力の父。1955年「原子力平和利用博覧会」、福島原発周辺で広められた安全神話
2: http://www.opendoorsuk.org/resources/country_profiles.php
3: http://northkoreanchristians.com/
4: ヨハネによる福音書16:33b
5: ヨハネによる福音書14:27


