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黙想会の感想
鹿児島 黙想会の感想2012年3月
日々の喧噪から離れた静かな場所マリア山荘で、自分を見つめる機会を頂いたことに感謝します。
高速バスで3時間かけてでも参加したいと思ったのは,キッペス先生にお会いしたかった。キッペス先生のお考え哲学を直接聞きたかったからです。キッペス先生にお会いでき、お話とスマイルからエネルギーを受けました。楽しかったです。毎日の生活の中で自分を見つめることにより、罪深い自分に気づき苦しむ事が多かった。これまでの生きた過ちに気づき苦しむ事が多かった。その苦悩を他者にオープンにすることはもっと苦しい。しかし、それを聴き入れて下さるのが、YESUSであり祈りです。私にとっての祈りは、慰めであり救いでした。
(Cさん)

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問題のない信仰生活を送りたいと日々考える。そうすると問題に向き合わなかったり、目を背けてしまいやすい。2012年2月の黙想のしおりにあるように、『信仰は「問題のない世界の中に生きる妄想を創る」きっかけにならないように注意すべきです』とある。問題はあるが、それを見つめて生きることを。例えば、原発問題、孤独死、貧困死、ワーキングプア、他国でキリスト者の迫害など、信者同士で話し合い、考えていくこと、その中でも、平安は生まれカリタス(人を助ける)のための意識が生まれ、生き生きとした共同体へと形成されていくのではないか。どこまで問題を意識していくか。難しいが、自分たちの共同体でできることは何か。そして、共に一字に踏み出していければ生きた信仰になると思う。
(Mさん)


東京 黙想会の感想2012年3月
今回は黙想会の感想というより3月の “「海は神のもの・・・・」と津波” に拘っていて、またもや “神の人間への眼差し” に拘りました。
あの3.11のような出来事は私も人間の罪の結果とは短絡的には思いませんが、もし磁石に引き寄せられる砂鉄の如く、人間が挙って神へ身を低くして向かい、崇めるなら、人間は又楽園を取り戻せるのだろうか?
この地球上に於いて、すっかり死滅したかに考えられた動物が僅かながら残っていたり、また倒れ朽ちた草木から新しい芽が吹くことがあります。
東北災害ですっかりダメージを受けたと思えた中でも、何人もの赤ちゃんが誕生し、また辛い困難の中にも人々に新しいエネルギーが湧いてくる凄さ!
そこに創造者と被造物の何か愛の交流があるのだろうと今のところ思っています。
大分行きの飛行機を羽田で待っている時に、 ああ!神父様はあの重い荷物を引っ張ってここを歩いていらしゃるのだなと想像いたしました。
本当にいつもありがとうございます。
(A.F.)


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仕事の一年の締めくくりを感謝と安堵の気持ちで迎えるこの時期に、心のメンテナンスの時を過すことが出来ました。
正直であること、自分なりの神様との親しさを深めることに、今までよりもっと価値を見出すことが出来ました。嬉しいです。
JESUSと、もっと仲良くなれました。喜びです。
キッペス神父様、皆様ありがとうございました。
(K.W.)
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昼食からの参加で、短い時間ではありましたが、ミサに与らせていただいたことも含め、私としては、仲間の存在は大事なものだと、改めて実感させられ、平安な気持ちになれたひとときでした。
今度はきちんとした参加をして、実りある時間を出会った皆様と共有したいと思います。
(S.N.)
鹿児島 黙想会の感想 2011年11月
くり返しくり返し「私達の父」「御父」について考えました。
神父様が「人の真似をしないでください」「自分で自分なりに考えて・・・」「正直であって下さい」と、語られた事も頭の中に置いて黙想しました。
人に比べる事なく、「神様」対「私」と向き合って、一日一日を大切に生きようと決心しました。「今日」だけが手の中にあるけど、来年、生きているか誰も分からない・・・。
「生きている気がする」「・・・気がする」は当てにならない。人に理解されてなくても、誤解されても、神様は知っていらっしゃる。そして、今回の黙想にあずかる前に、大変悲しく、苦しい体験をして、立ち上がるのがやっとの状態でしたから。
黙想中、さみしい、見苦しい所があった事をおゆるし下さい。そして、その苦しみの理由を、今は話したくありません。
どうか、お祈りください。 (S.S.)
東京 黙想会の感想 2011年12月
神父様が静かに、ご自分の渾身の力を注いで毎回ご指導してくださいますこと、有難うございます。
回を重ねてようやく信仰の要諦のようなものが、私の深部にとどまってきたように思いますが、日々人生は戦いであるというのが実感です。
今回、特に印象に残りましたのは、神父様がやはり瞑想から力を得ておられるということ。
そして以前の心臓の手術の時はそう、死というものが怖いと思われなかったが、最近になって暗い穴の中に落ちて行くような感覚を持たれているということです。
こういう率直なお話が、神と人間を考えるマテリアルとしていただけ、魂が揺さぶられます。
来年もどうぞよろしくご指導のほどお願い申し上げます。
(A.F.)
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12月の黙想全般において、何時も感じる事ですが頭が良いと良いなあ、心が澄んでいると良いなあと思っています。余りに多く神様の国に行く、生きる指針を示して頂きながらも忘れる事の多さに気付くからです。どれもこれも聞いた様に生きたい、行いたいからです。
私は父から造られ、子に渡され、子の大切なもの、宝物として生かされていると信じています。この易しい様で難しい事を信じている事こそがイエスの喜びであり、父の栄光なのでしょうと確信しています。
自分のした事を評価して生きるようにのアドバイスは嬉しい言葉でした。
(T.S.)
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黙想会に一日だけ参加させて頂きました。
日々の雑用に追われている私ですが、イエススと共にいさせて頂く静かな時間を沢山頂き感謝でした。日にはえるお庭の紅葉がとても美しく心がなごみ、自然をお造りになった方は私達に何を伝えようとなさっているのか考えさせられました。
キッペス神父様の講義は始めに静かに集中出来るよう心を落ち着かせて下さいます。とてもありがたい事です。イエススが全能者でありながら無力になることが出来る方、不自由になることが出来る方、とても心に残っています。私の中ではとてもむつかしいことです。自分にとってイエススは何であるか正直であってほしいと言われたことは今も心に残り、クリスマス迄に明確にしたいと思います。キッペス神父様共に学ばせて頂いたみなさん、お世話下さった方、シスターの方々ありがとうございました。
帰りに一人の友の相手にならず帰りを急いだ事が、あと迄心苦しく、自分が教えを実行出来ていないことを実感しました。
(I.S.)
東京 黙想会の感想 2011年7月
「テゼの祈り」![]()
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自分の中にある悪意、自分の中にある敵意、善きものでない”敵意“という意思・意志を育てないこと。敵意は誰にでもあり、最後までのもの。次元・深さの問題でもあることを聴かせて頂きました。今回の黙想会で深く心に残りました。
敵意という自分の中にあるものを意識しなければ、敵意の中にずるずると引き込まれてしまう危険を感じます。自分の中にある敵意を見る目が少し育ってきたなら、自分の中の敵意を育てないようにすることが、生きる目的になるのではなかろうかと思いました。
悪の元になる悪意・敵意を育てない訓練をしたいと思います。悪を遠ざけますか・・遠ざけます。応答を繰り返しているように思います。しかし、実際はどのようか・・・
朝目が覚めてから、寝るまでの間に、どれだけ、自分の中に“敵意”が芽生え、実行され、或いは消えているか。蚊をたたいてつぶすのも敵意の表れ、自分にとって不快なもの、快適さを守るために“敵意”は生まれる・・・。そのような自分を引き受け“生きること”が“生かされること”人生の道と思います。
“敵意”“悪意”、を見ないことではなく、見て、気付き、遠ざけて、育てないこと。
善の方向に、自分を回すことが、生きる目的として見えてきました。
今から少しずつの歩みです。
お導き有難う御座いました。(Y.K.)
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今回の黙想会はテゼの祈りを経験したこともあり、また参加者が少なく顔なじみのメンバーであったためか、話し合いの場も多く、普段の黙想会とは違った印象を持ちました。
テゼの祈りは静謐で私たちを聖なる世界に引き込む魅力があり、皆の心を開放し癒してくださったと思います。(皆次々と自由に祈れた。)
それからやはり大きかったことは三橋さんが、取りやめになった4月の黙想会のことで神父様に質問したことです。
彼女の質問内容は私も持ちました。
私にとっては楽しみにしていたオペラ鑑賞が期待のドイツ人テノール歌手が「フクシマ」に脅えて出演をキャンセルしてしまったので、やはり神父様もそうなのかと、(他の方と違うと思っていたのに・・・・。)寂しいとは思いつつも納得してしまったのです。
そして今回、神父様の全くそんなことを考えなかったというお話を聞いて、何とたやすく、私は人を決めつけてしまったのだろうと落ち込んだというのも事実です。
神父様が今回初めて具体的に学院を望むお話をなさったりと、かつてない印象的な3日間でした。
(A.K.)
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JESUSに「立って歩きなさい」と言われたような今回の黙想会でした。
今、足に力が入って真っ直ぐに歩くように、生きるようにと・・・
信仰とは、
日々の戦いであり、生きることです
信仰とは、
飾り物でも逃げ道でもなく、生きることです。
信仰とは
儀式ではく、奇麗事でもなく生きることです。
祈りとは、
言葉の内容を意識することであり、
言葉は生きている言葉を使わなければ意味がない。
意識することは戦いです。
日々の戦いから信仰が磨かれます。
ある意味で、私にはとても厳しい言葉です。
日々の自分の生活を振り返ると、自分を否定したくなる可能性があります。
しかし、そのままの自分を受け入れることが賛美になる、という言葉に励まされ、葛藤しつつ、戦いつつ、歩みたい!
自分とともにいてくださる方を信頼して!
歩みたい!
「立って、歩きなさい」と言われたJESUSとともに!
(Y.O.)
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東北関東大震災から始めての黙想会でした。
地震発生からの4ヶ月の間、私の中でも様々なものが表面化しました。
何よりも不安が根深く巣を作り、居座っています。
自分の中にイエズスはおられるのか懐疑的です。
ヒントになる言葉をいくつかいただきました。恐ろしい言葉も。
「生きる力、生かせる力」は、悪のほうにこそ強い力があるということ。
否定的な視線、無視、心無い言葉によって相手を死なすことができるということ。
相手を変えることはできず、自分の中に敵意が生まれないようになだめて、相手に祝
福を与え続ける自分であること。
テゼの祈りの準備会の方3人が来てくださいました。
神に向けられた美しい歌声、繰り返し繰り返し歌うことで私たちの存在を包み、満た
してくれます。
自然に祈りの言葉がのぼって来ました。
今こうしている時も、「オー キリスト・・・」「慈しみと愛の・・・」などがゴ
チャゴチャしている私の中から現われ出て来ます。
とても有難いことです。
使命感は、一瞬にして悟る場合[マザーテレサが聴いたイエスの声やキッペス先生に
呼びかけた声など]とわからなくてもやり続けているうちに発見できる場合とがあるということ。
過ちだらけでも、イエズスから離れない人生を送りたいと願い続けています。
誰よりも根気強いキッペス先生の熱意に感謝申しあげます。 (M.R)
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黙想会に一日だけ参加させて頂きました。
イエススと共にいさせて頂くことが出来ました。おはからいに感謝致します。
神父様の講義が心にひびいて来ました。
福音を読むとき「そのとき」ではなく今日、聞いたことを大切にすれば、生きられる。
短い言葉が自分の中に生きている。今日、わたしたちに呼びかけて下さるイエススの言葉、その中から何かをつかみ、生きる糧にすることが出来るようにさせて頂きたいと思います。
新しい道を歩こうとすれば困難があります。厳しい道だということを身にしみて感じさせて頂きました。
希望されていることがかなえられますようにお祈り致します。
イエススと共にいさせて頂き、神父様、皆様と共に学ばせて頂いた事で力を頂きました。感謝致します。
お世話して下さった方々ありがとうございました。
(I.S.)
鹿児島 黙想会の感想 7月
今回の黙想会で、『心にあるイエスのスペース』という言葉が私はとても印象的でした。この文字を見たときに、正直はっとしてしまいました。
私にとってイエス様はどういう存在なのだろう…。もしかしたら私は自分が落ち込んだり、悲しかったりした時にだけイエス様にすがるといった、都合のいい関わり方をしているのではないか、と自分を振り返って反省することがたくさんありました。
私たちは罪人だけれども、いや罪人だからこそイエス様から決して離れてはいけないし、イエス様はそんな私を決して見捨てることなく、どんなときも変わらぬ愛で側にいてくださいます。なんと有り難いことでしょうか…。
この黙想会を通して、より一層イエスさまを近くに感じるようになりました。そして、もっともっとイエス様と近くなりたいと思いました。
どんなときも私のことを信頼してくれるイエス様が私の中にいるということを信じて、自分に与えられた使命を日々の生活の中で果たしていきたいと思います。
貴重な体験の場を与えてくださったキッペス神父様、参加者のみなさん、本当にありがとうございました。
(Y.Y.)
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♪♪ ♪
歌へ主に 感謝 恵み深い主に!! ♪
歌へ主に 感謝 アレルヤ ♪♪
今回、この讃美歌を歌い美しい時を共に過ごせたことに感謝します。
静かで透明な気持ちで内面を見つめ、反省し立て直していく機会になれたらと期待しつつ望んではいましたが、なかなか追い出せない頑固な敵意をしまい込んでいる自分に正直うんざりしています。
今でも批判の気持ちがムクムクと湧きあがってくるのは何故?
忘れようとどれだけ苦しんだことか、それでも尚パンドラの箱をひっくり返したようにあれもこれもと鮮明に蘇る。 情けない!
とにかく価値観の違いからくるものでしょうと、しまいこんで鍵をかけてみたものの、同じ敵意を持っている仲間がいて 今でも取り出しては仲間同士盛り上がるから大変な始末!困ったものだとしみじみ思う。
敵意を感じる人とは極力接しない、関わりを持たない、どこまでも逃げる事しか知らない。私は関わらなくても良い環境にいられるので有難いが、同じ人に今でも悩まされている仲間に会うと気の毒で戦えなかった自分に腹が立つと同時にストレスになるので思い出したくない、現在も関わらなくてはならない仲間の話をきくことが時々ある、適切な答えをもっていないので聞くことと、うなずくことしかできない。もつれてしまった糸はなかなかほどけない。
短気で単純な私は切り取る事に精を出す。
確かに自分のなかにある悪として意識しなければとんでもないことになりそうだ。
「イエスは十字架によって敵意をほろぼされました。」とは衝撃です。
S.M.
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今回内なる自分自身の不安の原因について深く考えさせられました。
いまだまだ未熟。ただ『敵』と『敵意』とは違うということ。
私自身この『敵意』にどうして良いのわからずに不安になってしまっていたこと。
『敵意』をもって接すると、相手も『敵意』を持つようになるということ。
確かに最初に『敵意』出してこられたから、余計にかたくなになり受け入れられずに、私自身も『敵意』を持ってしまったこと。(相手が私よりも若ければここまで、かたくなにならなかったかもしれない。私よりも母に近い年齢の方、私よりも分別があるはずの方からの『敵意』そのあとのいろんなこと。)
まず私が『敵意』を認め受け入れ、抱きしめなかれば前には進めない。
4月の黙想会に続き、今回もたくさんのことを気づかされました。
『ただ言葉を発するだけの人。』にはなりたくない。
今日よりも明日。少しでも私自身の課題に近づけるようにしたい。
黙想会に導いてくださったイエズスに感謝。
イエズスは我とともに、いついかなるときもそばにいてくださる最良の友であります。
それに気づかせてくださった神父様、黙想会で一緒に参加できた皆様ありがとうございます。(TIYURI)
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鹿児島 黙想会の感想 4月
初めて参加させていただきました。
黙想する時は、私は部屋で行いました。雑念が入らない環境にしました。
静かに聖書を読み、そこから静かに黙想することができました。
自分の内を見つめ、神様への思いを見つめることができました。
信仰心を見つめていた時、苦しいことに対して希望をみつけることができました。信じ続けていく心を忘れないで信仰を考えて行くこともできました。
今回出会った方々の生きてこられた道を少し見させていただきました。
私は、神様は「乗り越えられない試練は、お与えにならない」と信じています。そして、私自身も乗り越えられると信じ、希望を持って毎日を生きています。
試練に対して、私はいつも「どうやったら乗り越えられるか」と考えながら試練に対して向き合っています。泣くことも少なくありません。想定外のことが起これば、ビックリもします。困ったなあとも思います。しかし、希望を持って「乗り越えられるから」といつも信じています。
このような考え方ができるように、様々なかたとの出会いを計画された神様に感謝しています。
食事の時は、楽しい雰囲気で感謝しながらいただく方が私は、良いと思いました。
神様にも、そして作ってくださった方にも感謝を込めて「おいしいね」と言いたい思いました。(M.H.)
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初めてこの黙想会に参加しました。
友人の勧めと。「イエスは友」という案内のチラシに惹かれて参加しました。どのような黙想会なのか全く想像がつかなかったので、最初はドキドキしていました。でも、キッペス神父様がとってもおもしろい方だったので、すぐにその緊張もとけました。
神父様が自分が体験したことや、感覚を大事にしてくださいとおっしゃったことがとても印象的でした。
イエス様は私達の心の中にいらっしゃるので、私が自分の心をないがしろにしたら、私のなかの イエス様も、私の心も、私の体も、死んでしまうのだと思いました。
私は今まで、自分が心をあまり大事にしなかったので、イエス様が私の心の中にいると実感できませんでした。
でもこの2日間、自分にとってイエス様がどういう人かということを黙想して、イエス様が私にとってなくてはならない存在だということに気付きました。一人じゃないとわかって、とても嬉しかったです。
毎日の生活で、私達は様々な選択をせまられます。キッペス神父様がおっしゃっていたように、生活そのものが戦いだとおもいます。その日常生活の中で、私のことを信じてくれるイエス様を信頼して、自分の思うこと、自分の中から湧き出ることを実行していきたいとおもいます。
貴重な体験をさせてくださった神父様と皆さんにとても感謝しています。ありがとうございました。また次の黙想会でよろしくお願いします。(S.Y.)
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今回の黙想にあたり何度も神父様の言葉を聴き再確認したのは「人の真似をするな」、「他人に気に入られるようにとか、他人に価値ある者として認められようと思うことはむなしいこと」、「じぶんの中に湧いてくる自分の声を聴いて自分なりにそれの欲せんとする道へ歩む」でした。
前回も響いていた言葉で、今回も聴くことにより、ずっとそれについて考えていました。
神様の前の「価値ある、私、私の道」。
皆さまとの分かち合いによって初めて知った、
神様の前での皆様1人1人の「価値ある命、人生の道行」
私が体験したことのない道を歩んできた皆様のお話は、「私だったらきっととまどうだろう」と感じるほどに忍耐強かったり、底力をおもい知らされました。
ついつい自分の日常のわずらわしさに視点が行きがちな私にとって大きな刺激でした。
「共にいて下さる神」あってこそ ですね。そしていつまでも忘れずにいたいし、勉強になりました。
最後に「今日神の声を聴くなら、神に心を閉じてはならない。」
「今日」「今」を大切に生きる人になりたいです。(S.S.)
東京黙想の感想 2010年12月
於 祈りの家
「今日を生きていれば、明日も生きる。 今日を生きていれば、生きた体験を持って明日に臨むことができる。」という言葉を熱い思いで受け止めました。
この言葉が真に私の心の奥底に届いているならば、明日もOK、ずっとOK。
毎日新しい体験という、いきいきとした感覚があるならば、人生わくわく生きさせていただけるという宝をいただきました。
神父様をはじめ様々な刺激をくださった皆さま、ありがとうございました。
(A.F.)
←YouTube
「イエズス-安定のない生活をおくっている方」
「イエズスも思い通りにならないことだらけだった」
講話の中で聞いたこのことが、私の生きるヒントになりました。
思い通りにならない事を何とか変えようと、自分や他人と闘っていた気がします。受け入れることは簡単ではないけれど、思い通りにならない事を受け入れ生きておられるイエズス様となら、力まずに歩いていけそうな気がしています。遠くに感じていたイエズス様との距離が近くなったと感じています。
12月半ばの土曜日曜、あれもこれもやる事が沢山ある中で、黙想会を選んだ事、正解でした。
キッペス先生と分かち合ってくださった皆様に感謝。
(A.A.)
鹿児島黙想会の感想 2010年11月
◇今回の黙想会に参加するにあたって思っていたことは,溝辺教会の中に身を置き,身体全体で流れている空気や神の恵み,慈しみ,愛や与えられているもの等を感じ,平安におられることを願いながら,参加させて頂きました。まず,この2日間を与えていただいたことに感謝します。
チリの落盤事故から生還された33人の方々から,人間の生きようとする魂と精神と知恵と祈り等から人間は計り知れないほどの力を持っていることを実感させられました。そして,自分を思う時,私も力を持っている同じ人間なのだと気づかされます。祈り(信仰)の力も大きかったと思います。私の祈りを考えてみると,私にとっての神は,「救ってくださる方」です。内面に起こる苦しみを取り去ってほしくて,苦しみから逃れたくて祈ってきました。神と祈りを手段にしていると気づかされます。それは本当の信仰ではないです。そこから1歩先に進めたいと思っています。いつも自分が中心でなく出会いをいただく方々とお互いに影響しあって成長できたらすばらしい一生になるでしょう。それをあきらめることなく努力していく力をいただけるように祈ります。マイナスのものに惑わされずプラスのものを選び取る力を下さい。
洗礼を頂けたことに感謝し,出会わさせて頂いている方々に感謝し,この溝辺に教会があることに感謝し,祈ることができることに感謝します。(無記名で)

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◇静けさの中で、自分が自分と共にいることの大切さを思い、自分を相手にする訓練の必要性を感じました。それによって、自分そのものが明確なものになるという気づきを得ました。
「何のために生きるか」という投げかけに「私らしくあるために」と、答えました。本物の私になるために、いただいた恵みに気づき、それを日々の暮らしに生かしていくことができますように。(R.K.さん)
仙台 黙想会の感想 2010年10月
・静かな時間とキッペス先生からの深い気付きに本当に感謝します。企画して下さったことに感謝します。神と共に居る実感に至りました。感謝です。
・この忙しい日常の中、とりわけここ最近はひどくて黙想したら寝てしまうと思いましたが意外にそんなことはなく、見えた物を書き、言われるがままに書いていったら今の自分の強い気持が出てきました。目標はあるけれど、それまでの過程や自分がどのような形であるのか分らなくて・・それが黙想で見た(パープルのリングやハート、形がいろいろ変わる)物に現れていてびっくりしました。そして、静けさも私に必要(あっている)と知ってなおさら驚きました。これからも自分と向き合って、もっと自分を知っていこうと思います。
・このままで良いのだろうかと迷いの中にあったので、キッペス神父様の話を聞かせてもらおうと思い参加しました。
感想のひとつはきちんと自分に向き合うことができたことです。二つめは今まで自分がやってきた方法などが間違っていなかったことが分ったことです。私が私自身としっかり話し合うこと、深く考えること、と言う事を教えて頂き、「そうか、これからは」という気持ちになりました。
キッペス神父様のいろんな話がスピリチュアルケアに繋がっていると思いました。病人に対してだけではなく、いろいろな人にスピリチュアルケアをというのが私のこの頃の感想です。いろんな傷と共に生活している人がほとんどのこの世の中です。ユーモアも身につけて周りの人が笑ってくれるような人になりたいと思いました。

