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黙想会の感想黙想会の感想

東京 黙想会の感想 2018年2月

「イエスとの関係」 東京黙想会
聖霊修道院 マリア館 2017年 2月18日(日)~19日(月)
 

感想


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JESUSに呼ばれていることを再確認させていただきました。
何のために呼ばれているか?
自分の中にある(いて下さるJESUS)を生きる事。
わたくし自身を生きることが祈るJESUSであることを戴きました。
JESUSの望み,JESUSの思いが、一人ひとりの中に在ることによって、
JESUSの望み、思いがこの世界になることを希望し、期待しています。
悪の意味は?
JESUSを邪魔する悪がある。
自分の中に在るその悪に意味があとするなら、JESUSをより強く生きる力になるのではないかと考えさせられました。
JESUSをプレゼントして下さっているKIPPES師に感謝!(Y. O.)
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「イエスとの関係を再確認する時」を頂けたことに感謝します。
聖霊のはたらきをとても意識させられました。
目標と方法、妨げになることを明確にした後、すぐに困難が生じ、もがいた。ただその中に、静かに居られる自分を感じていた。感謝です。
イエスを一人ひとりの内に見る目が大事というキッペス先生のすすめは善いものを発見する心の目が養われます。日々の生活の中で敏感になれますように。
(E. N.)
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キッペス神父様の講義の中で強く今回心に残っていることは、
・はっきりわからない道が本物の道
・不思議がる心を育てる
・自分が自分に正直になること
・自分が今できることを工夫して生きる
はっきりわからない道を信じて歩くことが本物の道を歩くことになるのだと御父、イエスス、聖霊を信じて歩く時見守って下さっていると信じます。
どんな道か自分にはよくわからないので、困難にあっても逃げないことにしたいと思っています。
不思議がる心は育てなければ不思議と思わない自分があります。これからも育てることが出来るよう努力したいと思います。
自分が自分に正直であることは自分の中で少しずつ出来ているように思いますが、気がついていない処があると思います。これから課題です。自分が今出来る事を工夫しながら生きることは、その様にさせて頂いています。
今回も沢山の力と刺激を頂き、生きる力を沢山いただきました。感謝いたします。
キッペス神父様、ご一緒に学ばせて頂いたお仲間の方々、シスターの方々ありがとうございました。(I. S.)
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前回の黙想会から、今回の黙想会の間、また沢山のことがありました。
流されているようですが、自分の中に「これはこうあるべきだ」というものが私の中に、芽生えてきていることを感じます。
「体験し失敗する所に学びがある」とキッペス先生が言われます。
それは、私の人生すべてのように感じます。自分の弱さを認め、そこから何をつかめるかはこれから先の事ですが、何があってもキリストと共に自由な人でありたいと思いました。
追加:善と悪をきちんとやってほしい。又、メンバーの皆さんとの出会いも、私にとっては、とても励みになります。
ありがとうございました。(N. I.)
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初めてのキッペス先生との黙想会でした。
始めるにあたっての目的、それについての糸口を見つけられたことは大きな歓びです。
目的を書いたときは、実際はどう果たされるのだろうと、楽しみよりは不安というか自信がありませんでした。
しかし、お話を伺い、自分に振り返っていく中で、道筋が見えてきました。そのとっかかりは、キッペス先生が、トランプ氏や安倍晋三氏についてどう自分たちが関わっていくかを述べられたことです。
批判したらもっと悪い面を引き出してしまうのだということ。自分にとって「受け止め難い人のために祈る。」という事はよく言われることですが、自分にとって現実味が今までありませんでした。まず、相手を理解しようとすることからはじめることにしようと思います。
他にもたくさんの発見がありました。(放蕩息子の例えの意味など)どうもありがとうございました。
新参者を暖かく迎え入れてくれたことにも感謝。各々の方とも心の触れ合いを感じられたことにも感謝しています。(A. F.)
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齢をとられる いやおうなしに!
齢を取る   御手の中で「!
       受け取ること!
       受容!!
手離す
にぎらない若い時は自分の意思で
選択できるかも?
修業出来るかも?
実行できるかも?
訓練、鍛錬!!
自分自身を受け取り、感謝して受容する。自分の分を生きるのは希望であり、喜びです。・・・伝えたいです。(Y. K.)
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私の思い(0) 日付: 2018年03月27日

鹿児島 黙想会の感想 2017年12月

「イエスとの関係」 鹿児島黙想会
マリア山荘 2017年12月15日(金)~17日(日)
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感想


 主の計らいは限りなく、思いがけず83歳の誕生日に参加でき、感謝で一杯です。
日々、忙しい中ゆっくりとイエス様マリア様と、過ごすことが出来たこと、主の恵みです。これから、生かされている間、イエス様の御胸のまま、過ごせますよう祈ります。
イエス様は、私の前になり後になりして支え、導いて下さっていることに、感謝です。
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 黙想会には、意識して時間を取り、心の準備を始められる大切な場だと思っています。マリア山荘の雰囲気も祈りの場、黙想の場としての良い条件を与えてくれていました。
キッペス神父様と共に居させて頂いた黙想会は、スピリチュアルな場として、内面を深く降りて、静かな時を味わうことができました。
言葉と言葉にならない言葉を感じ、魂が洗われていくようで、爽やかな心持ちで毎日を感謝して過ごせるように、リセットして頂きました。
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 今回の黙想会は、不思議なことに、様々考えることが多かったにも関わらず、心静かに落ち着いていました。
ここに、イエスが居てくださったのでしょう。きっと。
イエスは、開放させるために来られた。イエスと共に生きること。イエスのことばを生きようとする人生。現実を離れないように。聖書の中から、自分を生かせることばを発見し、生かせれば。自分を意識して生きる。自分が恵まれていることを意識して、感謝して生きる。
自分は、唯一の人間・価値ある人間。
これらの、ことばを意識すると、力が湧いてきます。こうやって、生きていったらいいんだなと、思えることが、とても有り難いです。
キッペス先生ありがとうございました。
共に過ごす縁を頂いた皆様、ありがとうございました。

私の思い(0) 日付: 2018年02月27日

東京 黙想会の感想 2017年12月

「イエスとの関係」 東京黙想会
東村山 祈りの家 2017年12月1日(金)~ 3日(日)

感想


黙想会に出席する前に、まず、出席する理由を考えた。
① 日々の生活を整えるため → 日々の忙しさのために、自分の中心を見失わないため。
② 好き嫌いでなく、合理性でもなく、霊的なものの見方や、判断をする基本をつくる。
この課題を終了した後、どう生きるかは、また、家に帰ってから考えます。
たくさんの気づきや提案ありがとうございました。(N. I.)
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沈黙の言葉を聴かせていただいた黙想会でした。
ヨハネの福音の最初にある“始めにことばがあった”のことばは、今私達が使っている言葉ではない。
聖ひつの中におられるイエズス、私達が祈っている時、イエズスの返事は、言葉ではなく沈黙です。
沈黙の中にイエズスのみことばが語られている。静けさの中で語られている、聴く耳、心を育てて下さい。との想いがつのりました。
キッペス神父様に出会って、20年近い月日が経ちますが、年齢や病気、困難にチャレンジ、チェンジ、チャンス、の精神で歩まれる姿に、イエスの弟子としての姿勢を見ました。(N. H.)
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今回のときは、すべてに感謝を覚えています。
参加したメンバーの心が合わさったこと。
新しく加わったメンバーによって、さらに新しい発見があったこと。
それぞれの個性そのものが生きて共に分かち合えたこと。
キッペス先生の話して下さった一つひとつが「こういうことだ」と確認できましたこと。
キッペス先生の生き方、姿は、イエスと共に歩んでいる方として、私のイエスとの関係を深くするための導きと感じています。
このときに、このように、私の心を満たして下さった、御父、イエス、聖霊に感謝。(E. N.)
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ここ数年様々な黙想会に参加してきましたが、やはり、キッペス神先生の言葉が一番深く染み入ります。
聖職者の言葉は丁寧で、きれいなものが多いですが、今一つピンとくるものが少なく物足りないことばかりでモヤモヤするばかりでした。
今回は、心に響くものばかりで、ハードでしたが、来てよかったと何度も思いました、これだけメモを取ったのは久ぶりです。
また次回楽しみにしています。(T. A.)
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ポジティヴに生きる。とてもシンプルな言葉であるが、人生における様々な局面で、自分のエネルギーが低下しきって、どん底にいるような時には、むずかしい。
私は、カオスと苦しみの中に在り、様々人生の困難のうちで、初体験をして、すっかり打ちのめされていました。
今まで言葉で知っていても、自分の深い部分まで届かなかった言葉がたくさん。
イエスの言葉、右のほほを打たれたら、左のほほも差し出しなさい。
そのような言葉も、たましいのの中に刻みこまれていたわけではない。
キッペス神父様のお言葉が、とても深く浸みとおって、
“キリスト者としての信念を持つこと”
“そして、その信念のもとに、戦わず、争わず、全てを捧げること”
“イエスのように生きること”
それをあきらめない。
ポジティヴになれなくとも、イエスのようになれなくとも、それをあきらめない希望を持つことが出来ました。
ありがとうございました。(K. O.)

私の思い(0) 日付: 2018年02月27日

黙想会の感想 東京黙想会 2017年7月

「イエスとの関係」 東京黙想会
東村山 祈りの家 2017年7月21日(金)~24日(日)
 

感想


 キッペス神父様がいつもと変わらず、熱心に講義をしてくださって力を頂きました。
 信仰そのものが神秘である、神秘は説明するものではなく神秘を生きる事。自分の中に強く残りました。
 イエススの多様性を生きることで、その都度、考え歩めば道が開けてくる。困難にあっても信じて歩くこと等、生きる力を頂きました。
 私にとって皆さんと一緒に学ぶことは刺激を頂く大切な時間です。新しい気持ちで生活できることを感謝しています。
 キッペス神父様、お世話をして下さった方々、一緒に学ばせて頂いた皆様、シスターの方々に感謝致します。
(Sさん)
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 ・自分の中に既に与えられている内在を掘り起こし、育てることが信仰を生きる事ではないかと気付かせていただきました。
 ・JESUSとの関係は、他者との関係による事を改めて感じさせて頂いた。
 ・自分自身になる場でもあり、信仰を生きるヒントが多々あり、他者との関係によって、より自分が信仰を生きる助け、支え、JESUSに祈りを捧げる自分を意識させていただき、この場にいさせていただけたことを心から感謝いたします。ありがとうございました。
(Oさん)
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 生きて自分の歴史を刻むこと、このことが目標と思います。
 信仰は神秘、聖書は信仰の書であり、全てが神秘と受け取りました。
 過去・現在・そして未来も、人間の善と悪、全ての営みが、神秘と感じられます。
 自分の考えを持っている人は、自分の考えを持っているイエス。
 苦しんでいるイエスは、分かってもらっていないという内在のイエスの表れ。
 自分のイエスをもって生きるなら、イエスの多様性が生まれてくる。多様性を認めて生きること、認めることは赦すこと。赦すことの、大きなテーマ―が与えられました。
 キッペス神父様有難う御座いました。
(Kさん)
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私の思い(0) 日付: 2017年08月07日

黙想会の感想 鹿児島 2017年7月7日~9日

 霊的な指導を受けることが少ない私は、教会司祭や権威を持つ方々から社会的な活動を政治的と判断され、又長年の信徒使徒的活動をする信徒協をなくす教区の意向に、カトリック教会の偏狭さを感じ失望してました。 そして、私自身の信仰は、本当にイエス・キリストとの出会いがあり、内的呼びかけに答えてのものなのかという根本的な問いを抱えて伺いました。
 キッペス神父様のお話は、一貫して生きた信仰、生きておられる主イエスをどう伝え、証しして生きるのかのお話で、深いところでの主との交わり、霊に生かされた心に届く言葉をたくさんいただきました。スピリチュアルケアが、どういうものかも少しずつ理解できて、人を解放してゆくものだと感じました。
 人間は本当に霊によって生かされている存在で、その方自身の心に働く望みを本当に理解し、共に歩むことなのだと思いました。
 生活の中で、私の本当の深い望みに心を開き、ありのままの自分を差し出し、対話していきたいと思いました。イエス様への信頼が私を導いて下さると確信しました。
(N・Tさん)
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 イエズスという名前から、その由来、意味を教えていただきました。当たり前に、知っていたはずのその意味もわからないまま来ていたことに、気づかせていただきました。
 黙想会に参加できた事も、イエズスからの贈り物だと感じています。これから生きる中で、くじけそうな時信仰が揺らぎそうな時、世の中の価値観に押しつぶされそうな時、力となってくださいと、心から祈れそうな気がします。
 イエズスは、今、生きる上で希望となれます様に。
 イエズスを、証しする生き方が、出来るよう力となって下さい。
 黙想会に参加した方々と、「ともに生きている」その事が、支えとなっています。
(M・Tさん)
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 1日だけの黙想会ではありましたが、久しぶりに静けさの中に身を置き、さまざまな自分の内面と向き合うことが出来た様に思います。
 人の開放というものは、自らの内にあるのではなく、日々気づき育てていかなければなないのだと、つくづく思い知った様に思います。自分自身が、どのような状況にあろうとそれは、続いて行くのだと思うしだいでした。
 つい、私達は、心配やネガテイブなことを課題にしがちですが、輝いて生きることに導かれた様に思います。
(R・Sさん)

私の思い(0) 日付: 2017年07月25日

東京 黙想会の感想 2016年12月

聖霊会 小金井修道院
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 わたくしにとって“存在とは何か”と、今回の黙想会の中で問われ、
今も問われ続けている。

 “万物は言によって成った……。”(ヨハネ1:1~3)

 存在そのものが不思議である。
 大いなる存在、(存在者)から。
 はじめも終わりもない存在……。
 わたくし自身の存在。
 わたくしの周囲にある存在そのものが、
 全て言によって成った。

 始めも終わりもない存在、
 言によってなった。
 存在とはことばになった時、
 そのものがあるものとなる不思議……。

 言葉は生きている……。
 生き続けていく……。
 それが聖書になっている不思議。
 JESUSの遺言として伝えられている言葉、
 JESUSの言葉を聞き理解して体験する。
 信頼して生きる。
 信仰も不思議……。

 また、今、在る全てに感謝?
 JESUS誕生!に感謝!
 JESUSの存在の不思議と感謝!
 御父に感謝!
 JESUSに感謝!
 聖霊に感謝!
 一人一人の存在に感謝の時を頂いて心から感謝です。(Y. O.)

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 12月の押し迫った時ということと、体調不良による欠席者が出た、少人数の黙想会でしたが、キッペス神父様の相も変わらない深いご指導に感謝致しております。
 今回のテーマは「信仰」だったのでしょうか、と思うほどに信仰について考えさせられました。
 「信仰」って自分からのものであるようにも受け取られる聖書の個所がありますが、私の考えの中ではそれさえも神様からの贈り物でなければ、望む事も欲しがる事も、成長も望まないのではないかと思っています。生まれた時から命をお返しする時まで、何時もいつも神様なしでは生きられないように創られている、ということだと思います。試練があることによって、その愛されている神様を信頼しているかどうかが問われているとのお言葉は、心に深く共鳴できるものがありました。
 イエス様は問題のない生活を保障していないというお言葉も力強く、再び信仰の目標に加わったように思いました。全てこの世は「神秘」の連続で、生かされていることの不思議さや信仰を教えて頂いて触れた不思議、その方を愛し愛されている、本当に不思議な体験だらけの今がある事を改めて確認できた黙想会であった事を心から感謝申し上げております。(T. S.)
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 今回の参加は、教会のクリスマス行事のため、2日目の午後からの途中参加でした。
 今回も大切なことを再び確認しました。「自分の中の宝物を見つけること」「自分の中から湧いてくるものからの行動」「日常の自分に品格を持つこと」などなど。キッペス先生からの講義で聞いてはいても、魂の中にまで入っていないから、残念なことですが、家に帰り日常に戻るとその言葉が次第に消えてしまいます。しかし2年前と比べると、意識の中に残っていると感じます。「自分は何を大切に思い、これを今、しているのだろうか?」「自分が、今した行いは恥ずかしいことではなかったか?」時々はっと思うのです。時々ですが、自分を見る自分の目を強く感じるのです。私の日常は考えての行動というよりも、動きながら考えるので、考えていることが流れて消えていってしまうのです。そんな忙しさの中で、立ち止まって自分がどちらの方を向いて進んでいこうとしているかを考えることがあるということを、今回の参加で気づきました。(N.E.)
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 信仰は生き方です。キッペス神父様の講義の中で強く心の中に残りました。
 この事について説明して下さったことで心に残っていること。
 ・自分の思い通りにならない事を生きることが信仰
 ・問題によって自分が生かされています
 ・自分を生きるために呼んで下さった方を信頼する
 ・人生は楽な課題ばかりではありませんが、その過程は意義があるものです。
 イエススを信頼して生きる時、いろいろな問題があっても、その過程は意義あるもので、そこを通る時に力を与えて下さるのだと感じさせて頂きました。
 黙想会で学ばせて頂くことはとても刺激を頂くことで、一つの事柄だけでもしっかりと心に留めておきたいと思っています。

 キッペス神父様、一緒に学ばせて頂いた皆さん、シスターの方々有難うございました。(I.S.)

私の思い(0) 日付: 2017年01月30日

鹿児島 黙想会の感想 2016年11月

 ・信仰は、生きること。信仰は、聖書を生きること。信仰を生きること。
 今までの信仰とは、違う切り口で語られたので最初は戸惑ったが、聞いて考えることで納得できました。
 信仰によって、喜び、感動、平安が得られ希望に向かって生きる事につながり信仰を生きることはやさしさ、愛のある行為につながります。
 イエスは光であり、愛そのものなので、信仰は生きること、信仰を生きることのすばらしさの考えで、又新しい日々をスタートします。
 類いまれな出会いはイエスからの招待でした。ありがとうございます。
 今生きて私達と共にいて下さるイエスを感じられ、再確認出来た信仰の確かさでした。
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 ・楽しい3日間が、あっという間に過ぎました。
 今まで、キッペス先生の御言葉を聞いて、今回は同じ言葉でも、なんだかスーッと胸に入ってきたような気がします。繰り返し聞くことの意味は、ここにあるのかなと思ったことです。
 これから、まだまだ繰り返すことで、深くくみ取る様になれればと思います。
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 ・信仰は教えじゃなく、聖書を生きる事、生き方です。と、言われたのが新鮮でした。
 信仰は生きる上で、為になる事もあるし、逆の事もあり得るので、自分が体験した事を大切にし悪からの誘惑に負けず、自分が自分なりに選んだ道を真っ直ぐ行こうと思った。
 生きる上で毎日の判断は、意味のある戦い。だという事を教えていただいたので、自分が自分なりに責任をもって生きようと思った。
 ネガテイブにならずに、これからも前を見て、ポジテイブに生きて行こうと、思った黙想会でした。
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私の思い(0) 日付: 2016年12月14日

鹿児島 黙想会の感想 2016年7月

 感謝の心を持つことが、大切であると知りました。
 日常何気なく過ごしている事が、とても幸なことと知りました。キリスト様マリア様を信じて生きてゆきたいと、改めて思いました。
 キッペス神父様が三日間熱心に講義くださいまして、ありがとうございました。
(無記名)
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 時間内に神父様から,私の病気のことで「あなたには,開放がないでしょう?」と、聞かれたのですが、病気になった時は、手術する前に親と嫁に「覚悟して下さい。命の保証はしません。」と宣告され、手術後に「自立するのは難しい。」と言われたのを考えると、そんなに悲観はしていません。でも、思い通りにならない事も多々あるし、自分で考える機会を与えられたと思い、自分の心を磨き自分に正直に生きて、生き方を明確にし、当たり前でないことに感謝することを忘れないようにします。
 「希望を持っている限り成長する。」と、おっしゃった神父様の言葉を信じ、信仰を育てていきたいと思いました。(無記名)
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 梅雨の真っ只中での黙想会でしたが、日常を離れ、自分と向き合うことのできる良い機会を与えられたと思っております。
 このたびの黙想会で、習慣は大切なものではあるけれど、その核を理解することが、生きる事に繋がることを再確認出来た様に思います。(無記名)
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 カトリックの本来の意味は「多様性」「すべての」との事。
 教団としてのカトリックは,他宗教と比較して,また,多様性はあるように思えるが,小教区の中の一人一人の信者を見る時,私も含めてだが他者の多様性を理解する事は苦手のようである。多様性を認めることは忍耐と努力が必要である。決して楽な事ではない。しかし,イエスの友となるよう呼ばれているカトリックの信仰を持つ人は,この事にチャレンジしていくよう,招かれている。
(M.N.)
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 キッペス神父様,3日間溝辺においで下さり,信仰を伝えていただき,ありがとうございました。
善と悪を毎日心の中で選択している。歳を重ね若い頃とは違う心を感じる時,
心に起きる善と悪を思う。どちらを選ぶのかによって後が違ってくる。善を選び取る力をもっていたい。
 何のために生きているのか。生きる目的は何か。ふと,心をよぎる時がある。
日常の1つ1つに意識を向けよう。当たり前のことが,当たり前でないことを感じよう。感謝する気持ちが湧いてくる。
 御父に語りかけ,祈ろう。力が湧いてくる。信仰に出会えていることに感謝いたします。お陰様で今,生きている。出会っている方々に感謝いたします,出会った事1つ1つに感謝いたします。皆様ありがとうございます。
 大事なことに気づかせていただける黙想会です。(T.F.)
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 生きていく中で,エイジングを感じる昨今である。職場の事や身体的な事,青写真のない,先の分からない今を歩み続ける上で,分からないモヤモヤした感覚の中で生きている。読書や社会との関係の中で,気持ちが行ったり来たりの日々である。ここ数ヶ月,心の中でリセットする何かが欲しいと思い続けていました。
 黙想会の直前に体調を崩し,仕事も初めて休みを取って,参加したいというかすかな希望を自分なりに感じていたので,無理をしてでもという思いが勝って溝辺に来ました。
 心配していた声が,多少はかすれていたものの,何とか初日をクリアーし,その日の帰路には身体が回復にあるのを確認,翌日は体調も元に戻っている様でした。体調の回復は,心のリセットが効き始めたのかなと,思っています。
 次回まで,また何とか日々を重ねて,次の黙想会につなげたいという希望が,力になりそうです。
(無記名)

私の思い(0) 日付: 2016年09月13日

東京 黙想会の感想 2016年7月

 暑い夏の時期でも心は神様の声を求め感動を求め、体が水を欲するように生きている事を強く感じた3日間でした。
 ヨハネ福音書の冒頭の個所「初めに言葉があった。言葉は・・・」のみ言葉は暗記して時折黙想していましたし、とても深い神様の本位性であると認識していましたが、今回の講和の中でこれはヨハネがイエスから聞いて書いた言葉ではなく、深く生活を共にし、交わっていたからこそ福音として生まれた言葉ですとの解説は私の心を震えるほどに感動させ言葉で表現できない世界に浸らせてくれました。
 成る程と同時に私もお側近くでこの事を体験しイエスと交わりたいと思ったからだと考えています。イエス様はこんな深い言葉の意味を学者に隠し一主婦に悟らせて頂いた感動は幸せの絶頂を味わわせて下さいました。又同時にそれはキッペス神父様が体験なされたからこその分かち合いだったのでしょう! 又私自身は私でありながら1分先、1日の自分を全くわからない神秘的なもので今晩眠れるかどうか、今日の体調はどうか借り物を生きている表現も新鮮に感じられました。お礼に
私は次回もまた神父様の深い体験に生きている分かち合いをお聞きしたくご健康をお祈りさせて頂きます。
 有難うございました。(T.S.)
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 この世の限られた命の時間を思うことが多くなってきている昨今、本当に自分はパストラルケアの学びに出会わせていただいて良かったと思います。
 出会わなかったら、カトリックのドグマに合わせようと今も汲々としている自分ではなかろうかと、ふと思う時があります。
 “気づき”がなければ、まず何事も変わらないとは、自分を見ても他者を見ても思います。
 この世にいる限り“気づき”をいただける人間でいたいものです。
 キッペス神父様、お仲間、今の時代を共に生きている人々、そして何よりも
   主よ!根気強く人間を、私を導いて下さい。
(A.F.)
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 信仰は生き方です。多様性を考えることは生きた信仰ですと話して下さったことが強く心に残りました。
 多様性の社会の中に生かされている私です。イエススの言葉の深い意味を感じて少しでも生かせるように努力したいと思いました。
 今回沢山の生きる力を感じさせて頂きました。
 ・朝黙想を始めようとした時、近くの木で蝉が鳴き始めました。
 蝉も神から造られたものです。与えられた短い時間を自分の力を精一杯出して力強く泣いている。 圧倒される生きる力を、感じました。
 ・講義の初めに西出さんと電話(スマホ)を通して皆さんと一緒に感謝の歌を歌った時、皆さんの心が一つになりました。西出さんの声が力強く、イエススの力を感じました。
 ・お休みの方々のお名前を入れて感謝の歌を皆さんと歌った時、深い繋がりを湧いてくる力を感じました。
 ・イエススを信じるお仲間達、それぞれの持っておられる生き方、多様性の中に満ち溢れる力を感じさせて頂きました。

 久ぶりに黙想会に参加させて頂いて。イエススの心を力を感じさせて頂く事が出来ました。
 少しでも自分の中に生かすことが出来る様歩かせて頂きたいと思っています。感謝いたします。
 キッペス神父様、お世話下さった方々、シスターの方々に心から感謝申しあげます。有難うございました。 (I. S.)
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 “信仰は生き方です。”
 この言葉の意味を考えさせられました。
 教えられたことを信じるのが信仰の生き方ではない。
 わからないことを生き方によって自分なりに発見し

 “神を知る”
 信仰生活と言うものが積極的な生き方になってくる。

 “与えられているものを受け取り、感謝する。”
 信仰の生き方。
と言う受動的な生き方からより積極的な生き方に変えられる

 受け身ではないポジティブな信仰の生き方が幽かに見えてきた。

 ヘブライ語の“ヤーウェ”とは
 “いるもの”or“あるもの”と!
 “始めも終わりもない”
 “はじめも分からない“がいるものであり、
 “おわりもわからない”があるという方を
 JESUSは信頼して生きられました。

 信頼して生きていく力を頂きました。
 有難うございました。  (Y. O.)
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 7月30日、31日の両日、参加させていただきました。
 キッペス先生の黙想会は、いつも刺激的で信仰生活をぼんやり過ごしている私には、チクリと痛みを覚えることがありました。ネガティブな私が否応なく明らかにさせられるという具合です。
 黙想会前日の私は非常につかれていました。春から企画していた所属教会で黙想会を終えたばかりで、「御手の中で生きる」というテーマでした。責任を果たした安堵感、「キリストを生活のど真ん中におく」という講師が残した課題で一息つきたいと思いました。(講師の方は私たちと同じ家庭生活をしながら自分が選んだキリストと共に歩む生き方を実践し感銘受けました。神父様だから、シスターだから、私とは違うと言い訳にはならないと思いました。) 空っぽの静かな一人の時間が欲しいと思っていました。そのような私が呼ばれている意味があるのだろうと家を出ました。
 前置きが長くなりました。30日朝、少し早く着きました。お御堂で暫く静かな時を頂きました。黙想会のスタートでした。
 今回、嬉しかったのは、二日間ネガティブな感情に引き込まれず解放感を感じていられたことです。食事の時、私が素麺をすする音をキッペス先生は揶揄されましたが、「礼儀知らずで、恥ずかしい」というネガティブな気持ちにならず、日本の文化、私は日本人なのでこのようにして味わっていると、ポジティブに考えることができました。多様性の中で生きるという事の体験でした。
それから、「用語を使わないで内容を自分の言葉にしなさい」と言われたことは、凄く参考になりました。コミュニケーションが大切だとしながら、耳にする言葉が空虚に聞こえるのは、政治家だけでなく教会の中でも感じられます。実際に私自身も短い会話の中にいくつもの用語で話を繋げていた事に気づかされました。
 キッペス先生と出会って強く印象に残っていた言葉が「キリストの様に生きようとすれば孤独になります」という事でした。それは「一匹オオカミ」のように孤高に生きる生き方に魅力をおぼえさせるものでした。「多様性を生きることが毎日のチャレンジ」ときいて頑なな自分を改め、肩ひじ張る必要もないことに気づかされました。
 少しずつ、少しずつ変えられていると感じています。ありがとうございました。
(A. A.)
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私の思い(0) 日付: 2016年09月13日

東京 黙想会の感想 2016年4月

 今回も深い内容を凄く分かり易い説明で本当にあの席に座らせて頂けた事を感謝しています。

 さて感想となるとなかなか纏まりませんがお礼のつもりで書かせて頂きます。

 先ず3日間を通してミサと言う言葉を神父様も私達も意図して1回も使わなかった事は素晴らしい体験だったと思っています。なぜなら普通にミサと言いますとあの一連の流れの儀式を連想してしまい意味を忘れがちですが、イエスの死と復活の記念と言いますとその度に改めて死と復活を思い出しますから。
 今回の全体を通して思う事は自分が何かをしたからではなく、タダで頂いたものが私を埋め尽くしていると思った事でした。気付かせて頂きました。
先ずは与えて頂いた命から、自分を生かせるものを知り、周りに沢山の人々を見、その方々と挨拶を交わし信頼心を養い、今自分に出来る事をし、安心して生きられる事の素晴らしさを強く感じました。 有難うございました。
(T.S.)
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 黙想会を終えて1週間も経たないうちに“平成28年熊本地震”が発生しました。
 それは私のふるさと大分県にも及びましたが、私は先ず「ああ、母が昨年この世を去っていて良かった。」と思いました。
 地震を異常なほど怖がる母が体験しなくて良かったという思いです。

 センターの今年のテーマである“いのち”。 
 これは肉体の終わり=いのちが無くなること、ではなく霊によって生かされる“永遠のいのち”のことですが、今被災者の方々が味わっておられる、親しい人の肉体が、いのちが無くなった悲しみを想像すると胸が詰まります。

 様々な不安要因が次々と私たちに迫ってくる昨今。
 迷いつつ、希望を持ちつつ人生の歩みを続けることの困難さを感じています。
(A.F.)
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 “ はじめもおわりもないいのち “ を
    今  
  共に生かされていると・・

 “ いのちの神秘 “ を
  幽かに
  振れさせていただいた黙想会でした。

 ありがとうございました。
(Y.O..)

私の思い(0) 日付: 2016年05月23日