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儀式対生き方・・・ 毎月の黙想 2017年9月

儀式 対 生き方
イエスに従うこと

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 最近のこと、8月末の日曜日と9月初めの日曜日の「喜びのメッセージ(福音)」から受けたインパクトは大変強かった。両者とも中心は“イエスとその跡継ぎであるペトロとの関係”である。
 前者は「フィリポ・カイサリア地方」での出来事だった。この都市の特徴はその名前にある。まず「カイサリア」はローマ皇帝を指し、その臣下「フィリッポ」を名付けたこと。この都市のもう一つの特徴はニンフ*1 、牧羊神と他の“神様”の神殿、寺院があり、大勢の人を呼び寄せていた。このような環境の中で、イエスは従ってくる弟子に尋ねてみた。「人々は、人の子(私)のことを何者だと言っているか。 あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と尋ねた。そのとき、多くの神々を祀る環境の中でペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と宣言した。イエスはペトロに「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」と。*2

 後者、すなわち一週間後の日曜日は、同じマタイ16章の続きであった。そのとき、イエスはご自分を信頼して生活を送ろうとする支持者に打ち明けた。「このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。 *3

 イエスに信頼して従う生活を送ることはスムーズな道や生活を送ることではない。イエスに「シモン、あなたは幸いだ。あなたに私のことを現したのは私の天の父だ」と言われながら、次に「サタン、引き下がれ」と拒絶されたことに考えさせられる。イエスに選ばれても、その人生は楽な道を歩むことではなく、最後までその道を惑わせようとする、目で見えない悪霊との闘いである。ペトロ、言わばイエスの後継者はそれをいやというほど体験させられた。イエスが逮捕されたとき、三度も「イエスを知らない」と嘘を言わなければならなかったのはその一つである。ペトロは正直であり、この事実から学んだ生活体験の結論を伝えてくれる。「いつでも心を引き締め、身を慎んで、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。…身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの 敵である悪魔 が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています」と。*4

 イエスを信じて生活を送るのは楽なことではない。「洗礼を受け」、「イエスの死と復活の記念(ミサ)に参加し」、「カトリックの結婚式を挙げ」、「聖書をよく読み」や「終油の秘跡*5 を受ける」などを指すような生き方ではない。信仰は言葉や儀式ではなく、またそれだけによっては救われない。「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」*6 というのは、聖なる者に近づけば近づくほど悪霊からの攻撃が強くなるのは例外ではない。

 信仰は単に儀式に従うことではない。自他を活かし、誰もが強く生きられるように心身ともに協力し合うのが父なる神・イエス・聖霊が望まれていることと思う。ちなみに誰かに「洗礼を受けたらどうか」と勧める前に、「人間が生きるのにふさわしい社会環境になるように努力し、協力してみませんか。…私にとってイエスがそのための力になっています」のように。あるいは病んでおられる方に、「私に何か手伝えることがあれば、おっしゃってください」など。「洗礼」を勧める前にまず、その方と人間としての繋がりを結べるように努力をすればよい。この努力の動機は“洗礼”ではなく、その方のニーズに応えようとする行為である。また、手伝おうとすることの動機は、自分自身をグレードアップするためではなく、相手が援助を必要としていることを意識すればよい。極端な例だが、軍の野戦病院での出来事。一人の兵士は退院したとき、自分を担当したシスターのナースにお礼を言った。そのシスターは「私はあなたのためではなくイエスのためにしました」と答えたという。この「イエスのために」の中にはさまざまな意味が含まれているが、兵士にはよい印象を与えなかった。まず人間同士の関係・繋がり、その後に超自然との関係がある。もしもシスターが「させてもらったことを感謝しています。言ってくださって嬉しいです」のように答えたなら相手の心を癒やせただろう。

 私と一緒に来日した同級生のことを思い出す。彼は来日10年後ドイツに帰国し、司祭職を辞めた。その後、彼に会ったとき聞いてみた。「なぜ辞めたのでしょうか」。彼は「司祭の会議ではいつもテーマが三つあった。“信者は何人いるか”、“求道者は何人いるか”、“今月の収支の報告”。ところが友情は感じられなかった」と。言いかえると、人間が“物”のように取り扱われたからだった。信仰はまず人間同士の関係から形成されていく!イエスはそのために「人間」になられた。生きた礼拝は共に生きる行為から始まる。そのためには決められた祈りのことばや礼拝(儀式)ではなく、言葉遣い、人間関係の本質を学ぶことなど、日々の訓練が不可欠な条件になるであろう。ペトロと弟子たちもそれを学ばなければならなかった。
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1: a mythological spirit of nature imagined as a beautiful maiden inhabiting rivers, woods, or other locations.
2: マタイ16:17~参照
3: マタイ16:21~参照
4: ペトロ1:13、5:8
5: キリスト教で、神の恩寵を信徒に与える主要な宗教的儀式。ギリシア正教では機密と称し、ギリシア正教とカトリック教会では洗礼・堅信・聖餐・告解・終油・叙階・婚姻の七種があるが、プロテスタントでは洗礼・聖餐の二種のみ。サクラメント。
6: マタイ7:21

日付: 2017年09月08日

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私の思い(1件)

今月のテーマこそ今の教会で、逆に求められ大切にされている事実に驚かされます。教会は横の繋がりとかミサに遅れずに出席し維持費を確実に支払い、周りの草を取って綺麗にとか、、、、どこに悩む人、病気の人、心淋しい老人、教会に行きたくても離れている人、落胆している人、優しさを求めている人が居るかは問題にされず、、だからって私も殆ど無に等しく小さい事を一つする位で泣くほどの辛さを生きています。とても良いアドバイスを有難うございました。

T.S(2017年09月08日 16:32)




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