毎月の黙想毎月の黙想

すべてを吟味して、・・・ 毎月の黙想 235号 2017年8月

すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。*1


   個人的なことですが、わたしは「未信者」ということばを使いたくありません。相手がキリスト者~もしかするとカトリック信者~でなければ、「未信者」と名付けるのは軽蔑的で傲慢な見方ではないかと感じるからです。宗教ではなくても、何も信じない人はいないのではないだろうか。まず相手を人間同士として尊敬し、理解しようとするのはともに生きるための土台であり、平和と平安の元になることを確信しています。以前からこのように考えていたところ、最近、本田哲朗師の「小さくされた人々のための福音」のあとがきを読んで嬉しくなりました。*2

 以下、本田哲朗師の解釈どおりに伝えます。
 ・「ユダヤ人たちが驚いて、『この人は、学問をしたわけでもないのに、どうして聖書をこんなによく知っているのだろう』と言うと、イエスは答えて言われた。『わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである。』」*3
 ・ 「福音」を、一宗教としての今のキリスト教とは、いちど切りはなして、とらえなおす必要がありそうです。「世のいたるところに出ていって、すべての造られたものに福音を知らせなさい」 *4 というイエスのことばが、世界各地の土着の宗教を否定して、キリストを教祖とする新興宗教への改宗を要求するものであったとは思いません。宗教はその土地、その民族の文化の重要不可欠な要素です。宗教を否定することはその文化を破壊することであり、そこに生きる人々のアイデンティティーを失わせるものです。これは明らかに、イエスが身をもって示した道とは矛盾することでした。
 ・ じっさい、イエスは、明らかに宗教のことなるフェニキア生まれのカナンの婦人に対して、改宗を求めることなく、彼女の信仰の偉大さをみとめたのです。*5
 ・ また、悪霊につかれたゲラサ人を解放したのち、イエスについて行きたいと言うその人に、「自分の家、家族のもとに帰りなさい」*6 と命じます。
 ・ ゲラサ人はユダヤ人がけがれのもとと忌むぶたを飼う人たちだったようで、宗教もとうぜん異なるものであったはずです。イエスがその人を家族のもとに帰したということは、自分の家族の宗教にかえしたということにほかなりません。
 ・ また、一人のローマ人と思われる百人隊長は、自分の召使いの病気を心配してイエスにいやしを頼みましたが、彼はユダヤ人が宗教のちがう人の家に入らないことを知っていて、同道しようとするイエスを気づかって、「ただ、ひとこと、言ってください」、それで十分ですと言う。これを見てイエスは、「イスラエルのだれ一人にも、これほどの信頼にみちた態度(信仰)を見たことがない」と言い切ります。*7

 宗教としてのキリスト教ではなく、福音を告げ知らせるのが、宣教/伝道であると知るだけで、視野は大きく変わるでしょう。福音書が語るのは、宗教としての「キリスト教」ではなく、「福音」であり、貧しく小さくされた者たちからはじまる「神の国」への参入の呼びかけです。この視点から、今、一度、ごいっしょに福音書を読んでみましょう。福音書は、けっして、特定の宗教に属する人たちに独占される経典ではなく、地上のすべての人への「福音」の書なのです。*8

 カトリック
 「カトリック」はギリシャ語であり、その意味は「ユニバーサル universal 全世界の, 万人に通じる」という内容です。上述した本田師の考えを瞑想し、イエスの希望を黙想すればよい機会になるのではないだろうか。
 ・フェニキア生まれのカナンの婦人  ・悪霊につかれたゲラサ人  ・ゲラサ人はユダヤ人がけがれのもとと忌むぶたを飼う人たち  ・一人のローマ人と思われる百人隊長
 以上、4つのエピソードはいずれもマルコによる福音で述べられている。マルコ福音書は当時の教会が認めた4つの福音書の中で歴史的に一番古く書かれたものである。言いかえるとイエスの行いと言葉に一番近いレポートであろう。

 それぞれのイエスに助けられた人々の、その後の人生はどう変わったのかは分からない。それよりも現代、洗礼を受けた私たちの生活は、イエスとの出会いによってどう変化しただろうか。例えば日々感謝する人になっただろうか、あるいは他者を大切にするようになっただろうか。

 現代世界の状況を考えると、photo201708.jpg
 ・72年前の広島と長崎における人間による「悪」を思い出すと同時に、
 ・現在、アメリカと北朝鮮の人間関係(外交)は相手を全滅できるという脅威の応酬である。
 ・仏事としてのお盆において「死」をどのようにとらえるか~存在そのものの消滅あるいは存在の形が変化する~について考えることなど。
 
 これらの、考えさせられる課題はたくさんある。その中には、イエスの希望やそれに従って生きるための再出発へのチャンスを見つけられるだろう。

    わたしとあなた!
        互いにイエスによる体験を分かち合いながら
      イエスの心を理解するチャンスをつかみ生きるように!

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1: 一テサ5:21
2: 本田 哲朗「小さくされた人々のための福音」2005年10月8日 新世社 名古屋
3: ヨハネ 7:15-17
4: マルコ16:15
5: マルコ 7:29 ユダヤ人から共に差別される者として、他宗教の婦人の痛み(幼い娘が、けがれた霊に取りつかれていたこと)を共感し、相手になったイエス。
6: マルコ 5:19
7: マルコ8:10
8: (2000年12月 PP 773-774) 太字はW・キッペスによる。

日付: 2017年08月16日

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