黙想会の感想黙想会の感想

黙想会の感想 鹿児島 2017年7月7日~9日

 霊的な指導を受けることが少ない私は、教会司祭や権威を持つ方々から社会的な活動を政治的と判断され、又長年の信徒使徒的活動をする信徒協をなくす教区の意向に、カトリック教会の偏狭さを感じ失望してました。 そして、私自身の信仰は、本当にイエス・キリストとの出会いがあり、内的呼びかけに答えてのものなのかという根本的な問いを抱えて伺いました。
 キッペス神父様のお話は、一貫して生きた信仰、生きておられる主イエスをどう伝え、証しして生きるのかのお話で、深いところでの主との交わり、霊に生かされた心に届く言葉をたくさんいただきました。スピリチュアルケアが、どういうものかも少しずつ理解できて、人を解放してゆくものだと感じました。
 人間は本当に霊によって生かされている存在で、その方自身の心に働く望みを本当に理解し、共に歩むことなのだと思いました。
 生活の中で、私の本当の深い望みに心を開き、ありのままの自分を差し出し、対話していきたいと思いました。イエス様への信頼が私を導いて下さると確信しました。
(N・Tさん)
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 イエズスという名前から、その由来、意味を教えていただきました。当たり前に、知っていたはずのその意味もわからないまま来ていたことに、気づかせていただきました。
 黙想会に参加できた事も、イエズスからの贈り物だと感じています。これから生きる中で、くじけそうな時信仰が揺らぎそうな時、世の中の価値観に押しつぶされそうな時、力となってくださいと、心から祈れそうな気がします。
 イエズスは、今、生きる上で希望となれます様に。
 イエズスを、証しする生き方が、出来るよう力となって下さい。
 黙想会に参加した方々と、「ともに生きている」その事が、支えとなっています。
(M・Tさん)
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 1日だけの黙想会ではありましたが、久しぶりに静けさの中に身を置き、さまざまな自分の内面と向き合うことが出来た様に思います。
 人の開放というものは、自らの内にあるのではなく、日々気づき育てていかなければなないのだと、つくづく思い知った様に思います。自分自身が、どのような状況にあろうとそれは、続いて行くのだと思うしだいでした。
 つい、私達は、心配やネガテイブなことを課題にしがちですが、輝いて生きることに導かれた様に思います。
(R・Sさん)

日付: 2017年07月25日

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