毎月の黙想
聖霊 ご降臨 毎月の黙想 2017年6月
聖霊ご降臨(こうりん)
復活されたイエスは、弟子たちと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」*1
イスラエルには二つの農作物の収穫祭があった。一つは「初めての果実」を、もう一つは50日後の「最初の小麦」の収穫を祝う祭だった。50日はギリシャ語で「ペンテコスト」(「五旬祭」)と言うため、聖霊ご降臨の名前になった。今日、「聖霊ご降臨」は教会の誕生した日でもありながら、「Easter復活祭」や、いうまでもなく「クリスマス」のようには知られていないのは不思議だ。現代社会においてこそ、「聖霊 Holy Spirit」の祝いは大切な記念日ではないだろうか!
聖霊の質
聖霊が「五旬祭」の日に降ったときの様子は、「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、イエスを信じて座っていた人々のいる家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人ひとりの上にとどまった。」*2 言いかえると聖霊は耳に、「激しい風=暴風」のように、目には「炎のような舌」としての体験だった。「暴風」や「炎」は不気味な要因であり、ひとたび起こるとその状況は急激に変化する(例「台風」や「火事」など)。
聖霊の働き
復活されたイエスはその日の夕方、弟子たちに現れて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」*3 イエスは、私たちが悪霊によって縛られる重荷(誘惑の連続)から解放させ、今日に至るまで見守り続けておられる。
二つの霊
イエス自身もそうであるが、イエスに意識的に従う人にとっても「聖霊」と言うとき、「悪霊」の存在も認識している。というのは、日々の生き方にも、自分の内に「善」と「悪」の働きを体験しているからである。例えば、 知らない人にも挨拶するかしないか、 自分の考えを正直に伝えるかごまかすか、 自他の過失をゆるすかゆるさないかは、「霊の質」に左右される。
聖霊
「イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。」*4 のは、イエスご自身が聖霊によって悪魔(悪霊)に誘惑されるために導かれている。わたしたちの場合もそうであろう。なぜだろうか? 悪からの誘惑に打ち克とうとした時に、善=聖なる霊に強められるため、ではないだろうか。例えばスポーツの世界では、選手が強ければ強いほど、より強いライバルが現れ、肉体的、精神的な強さを試される。悪霊と聖霊の場合は「心の性質」が中心課題になる。
生きた水の流れ
祭り(1週間の収穫祭)が最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「『渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。』イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について言われたのである。」*5 二千年後である今の現実はどうだろうか!内戦やテロが頻発する世界において、キリスト者同士は一致しているだろうか。教会離れが言われている中、「生きた水が川となって流れ出る」ようになるのは遠い将来なのではないか!
新約聖書は、旧約聖書のように石版に書かれたものではなく、神の霊と命そのものである。「命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたし(イエス)があなたがたに話した言葉は霊であり、命である。」*6
私たちの創造主はモーセに言われた。「今、もしわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたたちはすべての民の間にあって、わたしの宝となる。世界はすべてわたしのものである。」*7
言いかえると、言葉を読むだけではなく聖霊の呼びかける声を発見し、それに敏感になり、勇気をもって従おうとする内面的な耳を育てるのは不可欠である。なぜなら「“霊”(は)弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」*8 「神は御自分の息を送って選ばれている人を創造し、地の面を新たにされる。」*9
「聖霊、来てください」と願うなら、それは神に不必要なものを取り除く、言わば掃除を願っていることを意識すればよい! 神が物事を新たにするということは、本物を作り出すことである。そのためには習慣化された生活様式は打ち壊される必要もある。それは自分自身だけでなく、団体や教会全体にも当てはまる。「霊」を縛ることはできないからである!
見知らぬ人に対する日常の挨拶だけでなく、自分の閉じられている内面をプッシュし、その門から出ようとすれば、不安定な状況に移ることになるだろう。それは歳をとることや、何十年もの慣れた生活から不自由な生き方に移り変わることのようなものである! 打ち壊されることは全滅ではなく、リニューアルなのである。「活かせる霊、勇気と信頼をください!」という願いになる。
霊の体験者
イエスの、唯一の証人であるパウロは、「わたしたちのうちにおられる聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれた」と書いている。*10 だがイエスにご自身の代理者として任命されたペトロは、「イエスを知らない」と三回誓ったことは悪霊の力を示している。その体験に基づくペトロの注意「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています」*11 とは、私たちの日々の体験を表しているのではないか。
現代社会
現代、社会では「スピリチュアル(霊的)」の外来語がよく使われるようになった。20世紀末頃から、特にホスピス(=人生の卒業のとき)での関わりは、自然科学だけに基づく医学において、「スピリチュアルな次元」の大切さが理解されるようになった。わたしたちキリスト者の出番だ!
イエスに従っている私たちは霊を区別し、聖霊に従って行動をとるようにと、現代社会や世界に大きな役目を委ねられているのではないだろうか。霊に満たされて互いに励まし合おう!
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1: 使 1:4-5参照。
2: 使 2:1-4参照。
3: ヨハネ20:19-23参照。
4: マタイ 4:1。
5: ヨハネ7:37-39参照。
6: ヨハネ 6:63。
7: 出エジプト 19:5。
8: ローマ 8:26。
9: 詩篇 104:30。
10: ローマ 5:5。
11: ペトロ第一 5:8。
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