黙想会の感想黙想会の感想

東京 黙想会の感想 2011年7月

201107teze_snap.jpg「テゼの祈り」youtube_icons1.png
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 自分の中にある悪意、自分の中にある敵意、善きものでない”敵意“という意思・意志を育てないこと。敵意は誰にでもあり、最後までのもの。次元・深さの問題でもあることを聴かせて頂きました。今回の黙想会で深く心に残りました。

 敵意という自分の中にあるものを意識しなければ、敵意の中にずるずると引き込まれてしまう危険を感じます。自分の中にある敵意を見る目が少し育ってきたなら、自分の中の敵意を育てないようにすることが、生きる目的になるのではなかろうかと思いました。

 悪の元になる悪意・敵意を育てない訓練をしたいと思います。悪を遠ざけますか・・遠ざけます。応答を繰り返しているように思います。しかし、実際はどのようか・・・
 朝目が覚めてから、寝るまでの間に、どれだけ、自分の中に“敵意”が芽生え、実行され、或いは消えているか。蚊をたたいてつぶすのも敵意の表れ、自分にとって不快なもの、快適さを守るために“敵意”は生まれる・・・。そのような自分を引き受け“生きること”が“生かされること”人生の道と思います。

 “敵意”“悪意”、を見ないことではなく、見て、気付き、遠ざけて、育てないこと。
 善の方向に、自分を回すことが、生きる目的として見えてきました。
 今から少しずつの歩みです。
 お導き有難う御座いました。(Y.K.)
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 今回の黙想会はテゼの祈りを経験したこともあり、また参加者が少なく顔なじみのメンバーであったためか、話し合いの場も多く、普段の黙想会とは違った印象を持ちました。

 テゼの祈りは静謐で私たちを聖なる世界に引き込む魅力があり、皆の心を開放し癒してくださったと思います。(皆次々と自由に祈れた。)

 それからやはり大きかったことは三橋さんが、取りやめになった4月の黙想会のことで神父様に質問したことです。
 彼女の質問内容は私も持ちました。
 私にとっては楽しみにしていたオペラ鑑賞が期待のドイツ人テノール歌手が「フクシマ」に脅えて出演をキャンセルしてしまったので、やはり神父様もそうなのかと、(他の方と違うと思っていたのに・・・・。)寂しいとは思いつつも納得してしまったのです。
 そして今回、神父様の全くそんなことを考えなかったというお話を聞いて、何とたやすく、私は人を決めつけてしまったのだろうと落ち込んだというのも事実です。

 神父様が今回初めて具体的に学院を望むお話をなさったりと、かつてない印象的な3日間でした。
(A.K.)
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 JESUSに「立って歩きなさい」と言われたような今回の黙想会でした。
 今、足に力が入って真っ直ぐに歩くように、生きるようにと・・・


 信仰とは、tokyo0724_02.jpg
  日々の戦いであり、生きることです
 信仰とは、
  飾り物でも逃げ道でもなく、生きることです。
 信仰とは
  儀式ではく、奇麗事でもなく生きることです。


 祈りとは、
  言葉の内容を意識することであり、
  言葉は生きている言葉を使わなければ意味がない。
  意識することは戦いです。


 日々の戦いから信仰が磨かれます。


 ある意味で、私にはとても厳しい言葉です。
 日々の自分の生活を振り返ると、自分を否定したくなる可能性があります。
 しかし、そのままの自分を受け入れることが賛美になる、という言葉に励まされ、葛藤しつつ、戦いつつ、歩みたい!
 自分とともにいてくださる方を信頼して!
 歩みたい!
 「立って、歩きなさい」と言われたJESUSとともに!
 (Y.O.)
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 東北関東大震災から始めての黙想会でした。20110723_141329.jpg
 地震発生からの4ヶ月の間、私の中でも様々なものが表面化しました。
 何よりも不安が根深く巣を作り、居座っています。
 自分の中にイエズスはおられるのか懐疑的です。
 ヒントになる言葉をいくつかいただきました。恐ろしい言葉も。
 「生きる力、生かせる力」は、悪のほうにこそ強い力があるということ。
 否定的な視線、無視、心無い言葉によって相手を死なすことができるということ。
 相手を変えることはできず、自分の中に敵意が生まれないようになだめて、相手に祝
福を与え続ける自分であること。
 テゼの祈りの準備会の方3人が来てくださいました。
 神に向けられた美しい歌声、繰り返し繰り返し歌うことで私たちの存在を包み、満た
してくれます。
 自然に祈りの言葉がのぼって来ました。
 今こうしている時も、「オー キリスト・・・」「慈しみと愛の・・・」などがゴ
 チャゴチャしている私の中から現われ出て来ます。
 とても有難いことです。
 使命感は、一瞬にして悟る場合[マザーテレサが聴いたイエスの声やキッペス先生に
 呼びかけた声など]とわからなくてもやり続けているうちに発見できる場合とがあるということ。
 過ちだらけでも、イエズスから離れない人生を送りたいと願い続けています。
 誰よりも根気強いキッペス先生の熱意に感謝申しあげます。  (M.R)
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 黙想会に一日だけ参加させて頂きました。tokyo0724_01.jpg
イエススと共にいさせて頂くことが出来ました。おはからいに感謝致します。
 神父様の講義が心にひびいて来ました。 
 福音を読むとき「そのとき」ではなく今日、聞いたことを大切にすれば、生きられる。
 短い言葉が自分の中に生きている。今日、わたしたちに呼びかけて下さるイエススの言葉、その中から何かをつかみ、生きる糧にすることが出来るようにさせて頂きたいと思います。
 新しい道を歩こうとすれば困難があります。厳しい道だということを身にしみて感じさせて頂きました。
 希望されていることがかなえられますようにお祈り致します。
イエススと共にいさせて頂き、神父様、皆様と共に学ばせて頂いた事で力を頂きました。感謝致します。
 お世話して下さった方々ありがとうございました。
(I.S.)

日付: 2011年09月12日

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私の思い(1件)

 今回内なる自分自身の不安の原因について深く考えさせられました。
 いまだまだ未熟。ただ『敵』と『敵意』とは違うということ。

 私自身この『敵意』にどうして良いのわからずに不安になってしまっていたこと。

 『敵意』をもって接すると、相手も『敵意』を持つようになるということ。

 確かに最初に『敵意』出してこられたから、余計にかたくなになり受け入れられずに、私自身も『敵意』を持ってしまったこと。(相手が私よりも若ければここまで、かたくなにならなかったかもしれない。私よりも母に近い年齢の方、私よりも分別があるはずの方からの『敵意』そのあとのいろんなこと。)

 まず私が『敵意』を認め受け入れ、抱きしめなかれば前には進めない。

 4月の黙想会に続き、今回もたくさんのことを気づかされました。

 『ただ言葉を発するだけの人。』にはなりたくない。
 今日よりも明日。少しでも私自身の課題に近づけるようにしたい。

 黙想会に導いてくださったイエズスに感謝。
 イエズスは我とともに、いついかなるときもそばにいてくださる最良の友であります。

 それに気づかせてくださった神父様、黙想会で一緒に参加できた皆様ありがとうございます。

TIYURI(2011年08月02日 22:10)




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