黙想会の感想
鹿児島 黙想会の感想 7月
今回の黙想会で、『心にあるイエスのスペース』という言葉が私はとても印象的でした。この文字を見たときに、正直はっとしてしまいました。
私にとってイエス様はどういう存在なのだろう…。もしかしたら私は自分が落ち込んだり、悲しかったりした時にだけイエス様にすがるといった、都合のいい関わり方をしているのではないか、と自分を振り返って反省することがたくさんありました。
私たちは罪人だけれども、いや罪人だからこそイエス様から決して離れてはいけないし、イエス様はそんな私を決して見捨てることなく、どんなときも変わらぬ愛で側にいてくださいます。なんと有り難いことでしょうか…。
この黙想会を通して、より一層イエスさまを近くに感じるようになりました。そして、もっともっとイエス様と近くなりたいと思いました。
どんなときも私のことを信頼してくれるイエス様が私の中にいるということを信じて、自分に与えられた使命を日々の生活の中で果たしていきたいと思います。
貴重な体験の場を与えてくださったキッペス神父様、参加者のみなさん、本当にありがとうございました。
(Y.Y.)
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♪♪ ♪
歌へ主に 感謝 恵み深い主に!! ♪
歌へ主に 感謝 アレルヤ ♪♪
今回、この讃美歌を歌い美しい時を共に過ごせたことに感謝します。
静かで透明な気持ちで内面を見つめ、反省し立て直していく機会になれたらと期待しつつ望んではいましたが、なかなか追い出せない頑固な敵意をしまい込んでいる自分に正直うんざりしています。
今でも批判の気持ちがムクムクと湧きあがってくるのは何故?
忘れようとどれだけ苦しんだことか、それでも尚パンドラの箱をひっくり返したようにあれもこれもと鮮明に蘇る。 情けない!
とにかく価値観の違いからくるものでしょうと、しまいこんで鍵をかけてみたものの、同じ敵意を持っている仲間がいて 今でも取り出しては仲間同士盛り上がるから大変な始末!困ったものだとしみじみ思う。
敵意を感じる人とは極力接しない、関わりを持たない、どこまでも逃げる事しか知らない。私は関わらなくても良い環境にいられるので有難いが、同じ人に今でも悩まされている仲間に会うと気の毒で戦えなかった自分に腹が立つと同時にストレスになるので思い出したくない、現在も関わらなくてはならない仲間の話をきくことが時々ある、適切な答えをもっていないので聞くことと、うなずくことしかできない。もつれてしまった糸はなかなかほどけない。
短気で単純な私は切り取る事に精を出す。
確かに自分のなかにある悪として意識しなければとんでもないことになりそうだ。
「イエスは十字架によって敵意をほろぼされました。」とは衝撃です。
S.M.
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今回内なる自分自身の不安の原因について深く考えさせられました。
いまだまだ未熟。ただ『敵』と『敵意』とは違うということ。
私自身この『敵意』にどうして良いのわからずに不安になってしまっていたこと。
『敵意』をもって接すると、相手も『敵意』を持つようになるということ。
確かに最初に『敵意』出してこられたから、余計にかたくなになり受け入れられずに、私自身も『敵意』を持ってしまったこと。(相手が私よりも若ければここまで、かたくなにならなかったかもしれない。私よりも母に近い年齢の方、私よりも分別があるはずの方からの『敵意』そのあとのいろんなこと。)
まず私が『敵意』を認め受け入れ、抱きしめなかれば前には進めない。
4月の黙想会に続き、今回もたくさんのことを気づかされました。
『ただ言葉を発するだけの人。』にはなりたくない。
今日よりも明日。少しでも私自身の課題に近づけるようにしたい。
黙想会に導いてくださったイエズスに感謝。
イエズスは我とともに、いついかなるときもそばにいてくださる最良の友であります。
それに気づかせてくださった神父様、黙想会で一緒に参加できた皆様ありがとうございます。(TIYURI)
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