イエスとわたしイエスとわたし

情報や仕事

 新聞はほとんど読みませんが、読む場合、食物と同様に私の心の中にいるあなたと入れ変わってしまう傾向が強く、新聞の記事が私の心を奪ってしまうのです。 特にスポーツは、あなたのライバルです。 インターネットはなおのことです。インターネットの依存者になる危険を感じます。そして仕事も同様です。 あなたの名前の書かれたカードをいつもデスクに置いているし、又、デスクの前の壁にあなたの名前が書かれているポスターがあるのに、仕事中私はあなたのことをあまり考えていません。

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 仕事中は仕事が私にとって非常に大切です。 それが意義深い仕事である必要はなく、退屈であっても、生産的であってもなくても、ただ仕事でさえあれば、その仕事を祈りによって邪魔をされたくないのです。 つまり祈りより仕事が大切だと思って仕事の方を高く評価しているのです。
 電車に乗ったり、道を歩いたりする時、私の心の中であなたに出会います。 私はあなたの名を口ずさむのが好きです。 特に意識しないであなたのことが口をついて出る時は嬉しいものです。 普通、私が性的欲望、恨みや憎しみを感じたり、果たすべき仕事を重荷に思う時、その時意識してあなたの名前を口ずさみ、あなたの名前を口ずさむことによって、私は助けられるので感謝しています。 また精神的にいい状態の時、もっと頻繁にあなたの名を口ずさむこともよいことだと分かっています。 あなたが、ただのお手伝いさんであって欲しくはありません。

 仕事中、たとえ側を通りすぎることがあってもチャペルに入ることはほとんどありません。昼食前、仕事をしている人と共にチャペルで祈り、そして夕方5時頃ミサを捧げ、つまり第二の祈りの時間を過ごします。そのときはわたしの心のために、人生の意義のために有意義なときです。
 二番目の祈りの時間は第一の祈りの時間よりも多少短くなっています。朝の黙想と比べて心は満たされません。ミサの際、福音(聖書)を読んでいる時、あなたが側にいるようです。私はあなたから強い力や平安を与えてくれる言葉や句を受けとるのに焦点を置きます。ほとんどの場合、福音を読むということは私にとっては、よい友達からきた手紙を読んでいるようなものです。手紙をもらうと差出人の書いたことを知りたくて仕方がありませんが、特に私自身に関する適切な言葉には、私の心が動きます。一人でミサを捧げる時は、私は聖書の言葉を入れ替え読みます。
例えば 「イエスは弟子に教えた……」と読むかわりに、 「イエス、あなたはあなたの弟子に教えた ……」と言います。このように文章を入れ替えることによって、あなたと話しているような気がします。
 時々私は仕事が忙しくて、第二の祈りの時間あるいは祈る時間のすべてを省いて仕事に使ってしまう時があります。しかしこれは私が心から望んでいることではありません。もし何日間でもこのような状態が続くなら、私の存在の基礎であるあなたから切り離されてしまうだろうと恐れているからです。
 仕事がたくさんで忙しい時や、疲れきっている日に、チャペルのあなたの前で、何もせず座っていたり、郵便物や新聞、本を読んだりするのが好きです。このような時やあなたの側にいる時、あなたの存在を自覚します。ところがあなたが側に居て欲しくない時もあります。それは自分のことを私なりのやり方でしたい時です。チャペルにいるあなたや、掛け軸に描かれたあなたの御名を見てもいつも程感じません。しかししばらくの間、私自身の事をさせてくれ、私の事を構わないでくれ、一人にしておいて欲しい、ということをためらいます。

日付: 2007年05月14日

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