司祭になって(叙階)50周年司祭になって(叙階)50周年

司祭になって(叙階)50周年 vol.2

Fr. Kippes 同行記
“「使命感」とその根底にあるもの”

三橋 理江子

 75歳のキッペス神父はいつも先頭をフルスピードで歩き、歯が痛かろうが、夜の寝つきが悪かろうが、内臓のどこかが反ストを起こしていようが、どんなに疲れていようが、居眠り姿も見せず意欲的に過ごしている。方や、30歳若い私は睡眠時間が普段の2~3分の1で動いていると陽だまりでも暗がりでも睡魔に襲われ知らぬ間にこっくりこっくり、がっくん、あ~もうダメ。
 その姿に「猫みたいだ」と呆れて呟く神父。

ここでキッペス神父の略歴をご紹介したい。
1930年 ドイツのウルムに生まれる。
1955年 ミュンヘン大学付属ガールス神学部卒
1956年 来日、鹿児島県において司牧活動に従事
1971年 シカゴのロヨラ大学で心理学を専攻
1975年 同大学にて文学博士
1977年  上智大学講師
東京「いのちの電話」スーパーヴァイザー南山大学、アントニオ神学院講師(パストラル・カウンセリング)
1995年 久留米 聖マリア学院短期大学教授
1998年 臨床パストラルケア教育研修センター所長、国の内外で黙想と人間関係の指導に従事
「人間関係とコミュニケーション」「道」「スピリチュアルケア」「共に生きる」他、論文多数

 この略歴の中から彼の人生の分岐点と言えるのは、「神学校卒業から来日」と小教区における司牧活動を離れて再び米国にて学びなおす「41歳の時」ではないだろうかと考える。
 生まれた時代によって人は多くの影響を受けるという。これから先は神父自身のわずかな言葉と時代的検証で推察することをお許しいただきたい。
 1030年世界恐慌、その余波は日本にも波及し、浜口首相が東京駅で狙撃され重傷を負うなど何やら不穏な空気が立ち込め、一方、ドイツは1932年7月にはヒットラー率いるナチスが総選挙にて第1党になり、翌33年にヒットラーは首相に就任。

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アウグスブルグ神学院

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私の影

 日本では東北地方大凶作、娘の身売りが増加していた。ドイツとて貧しさに喘いでいて、人々にとって、ヒットラーは救世主的存在として受け入れられたのではないだろうか。
 神父は敬虔で厳しくも温かい古き良きドイツの典型的な家庭に育った。大のスポーツ好きで活発なワルデマール少年は時代の空気であろうか、軍隊に入ることを望んだ。現在の危機感のない、一見「平和」の環境に馴染んでいると軍隊そのものがすべて「悪」と受け止められる空気があり、当時あり得ない「少年H」のような少年が望まれる。
 若い心が「国を救いたい」と願うのは万国共通の正義ではないだろうか。
 しかし、父親はヒットラーに反対し、そのことで不利益を被ることも多々あったようだ。
 そして、彼の正義は当然のように「神の正義」へと向かっていく。しかも小教区ではなく、「外国の宣教に行きたい」という思いに。
 鹿児島を皮切りに東京の初台などで主任司祭を勤めるが、いつしか彼の心は満たされなくなっていったように思える。 またここでも、彼の燃える心が米国に心理学を学びに行かせる。
 ロヨラ大学で博士課程を修めた後、日本に戻り上智大学講師、「いのちの電話」などの多くの活動を精力的に行う。この時の蓄積が98年に臨床パストラルケア教育研修センター設立に向けて生かされ開花したように思う。
 ドイツ出発に向けて、私を気重にさせていたのは「ホロコースト」の存在であった。
8月15日まで日本のマスコミは「靖国問題」と「太平洋戦争」を毎日のように扱い、様々な人が様々に言い、いつも自分がどのように考えるかを問われてはいるが、私の結論は揺らぐばかりである。
 日本国民としての愛国心的見地、カトリックの信仰を持つ者の政教分離論、また、個人の罪と国家の罪の問題、東京裁判の無効性とA級戦犯などの合祀問題、教会においても“先の戦争を「平和のための戦争」である「正戦」をうたってきたのですから、教会はすべての戦争を支持してきたことになる”(カトリック新聞9月11日号意見異見 西山 俊彦司祭)という教会に対する日和見批判等々、キッペス神父はよく自国の歴史を認識するように促す。
 日本以外の国の多くは善し悪しに関わらず、国の記念日を覚えているという。

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残されたベルリンの壁

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ベルリンの壁の境界

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ホロコーストの記念碑

 例えば、1937年7月7日の盧溝橋事件である。日中両軍の衝突により日中戦争勃発これが太平洋戦争の引き金になる日である。この記念すべき7月7日を(私を含めて)知らない人が多いという。学歴の高い人物ですら「7月7日はどういう日ですか?」と訊ねると決まって「七夕です」と答えるという。この背景には高校の歴史では現代まで習うことが少なく、また、中国や韓国のように自国の歴史観を植えつけられる教育も皆無に等しいということがあるように思える。
 さらに、堅苦しい話や政治や宗教の議論を他者とすることを嫌う人が多い社会である。
 「難しい話はやめましょうや、まあまあ、楽しく・・・」ということになる。
 彼自身の言葉を借りると“平和を作ろうとするなら、自国の歴史を知り、それを意識するのは一つの不可欠な条件である。
 「学校で学ばなかった」とは言い逃れであり、学ぶ姿勢の欠如としか思えない。”と手厳しい。(イエスは友91号より)

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ホロコーストの記念碑

日付: 2007年05月12日

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